2005年12月29日

時の歩廊で 第14部 「YOU AND THE NIGHT AND THE MUSIC」(7)

第72話〜エピローグ

 奈緒子は慎吾の背後にある場所を指さした。
「あそこにいるから、行ってみて。じゃあ、ここで私は・・・」
「『いる』って?」
「すぐ行ってあげてよ。もう待っていると思うから」
「ああ、・・・それじゃ」
「・・・それじゃね」
 奈緒子は手を振ると駅に向かって歩き出した。その後ろ姿は十数年前にここで別れる時と変わらぬものだった。一度だけ奈緒子の左手が顔を押さえるような、そんな仕草をした以外は・・・。
「・・・」
 慎吾は不思議に思いつつも、奈緒子の告げた場所に行ってみた。柱の陰を回り込むと、そこで慎吾は驚きの声を上げた。
「・・・和美、・・・音也」
 そこには眠っている音也を背中におぶった和美が座っていた。
「今日も来てたのか?全然気付かなかった・・・」
「ごめん、今日はなんだか顔を出しづらくて・・・。でもピアノの人が声を掛けてくれたの。音也の顔で、私と音也が誰だかわかったみたいね」
 慎吾は、昼間大谷が言っていた言葉を思い出した。きっとこの和美も傷ついているはずだった。
「・・・うん。俺、今日付でみらい銀行をやめたよ」
「うん、ニュースで見たわ。・・・みらい銀行、どうなるのかしら?」
「わからない。でも・・・」
「・・・」
「わかったんだ、俺は・・・。俺が思っていたより、俺は強いみたいだ」
「・・・」
「これからはしっかりお前と音也を守る。守れると思う・・・」
「・・・」
「だから、・・・今日から無職になってしまった俺だけど、ついてきてくれるか?」
「・・・はい」
 和美は音也をおぶったまま立ち上がり、慎吾を見つめた。すでに秋風と言っていいような涼しい風が、排気ガスの香りを乗せながら二人の間を吹き抜けていった。


「慎吾、そっちの具合はどうだ?」
用意した巨大な画面の右上半分にプロジェクターを通じて映し出されている神田の顔を見ながら慎吾は答えた。神田の背後に飾られているクリスマスツリーの電飾が光っている。
「こちらはOKです、神田さん」
「よーし、奈緒子、そっちはどうだ?」
「受信はOKみたいです。あー、でも送信はわからないよー。ピアノの音聞こえる?」
「OKOK、バランスはこちらで調整するから、心配すんな」
画面の右下半分には奈緒子の顔が映し出されていたが、その顔は不安で引きつっていた。その背後にも小さなクリスマスツリーが飾られていたのを見て、慎吾は改めて今日が日本中どこでもクリスマスイブである事を意識した。
「パソコンのことなんて私わからないし、だいたいこっちは誰もわからないんだから、おかしくなっても知らないからね!優くんか数馬くん、そこにいるの?いるんだったらすぐここに来てトラブル対応してよー」
「どうやってこれからすぐ名古屋まで行けるんですか?その差を埋めるのがネットのいいところでしょ?」
慎吾の隣で優があきれ顔でカメラを覗き込みながら言った。
「神田さん、これもう中継はじまっておるのか?」
数馬の問いに、画面の中の神田が答えた。
「おお、もう始まってるよ」
「じゃあ早いところやっちまおうぜ。こちらはもう準備OKや」
「わかった。じゃあやるか・・・」
神田は一つ咳払いをすると、マイクに向かって話し始めた。
「皆さんこんばんは、kankanこと神田です。今日はインターネットを使って、新潟−東京−名古屋の3か所にいるミュージシャンが同時にセッション出来るかどうかの実験をやってみたいと思います。現在のアクセス数が・・・、えっと百六十ですね。下手なライブハウスよりよほどたくさんの人が聴いていると言うことですね。慎吾、そっちはどのくらいいる?」
聴かれた慎吾はロリンズの店内を見回して言った。
「ざっと三十といったところです。神田さん、宮田がいますよ。それから、石田さんも」
慎吾の手招きで宮田と石田恵理奈がカメラの前に進み出た。
「社長、お久しぶりです。石田です」
「おお、東京支社の諸君、元気で働いているか?」
「社長、宮田です。慎吾くんとしっかり働いていますよ」
慎吾はもう一度客席に手招きをした。
「それから神田さん、紹介しますよ。こちらがうちのカミさんと一人息子の音也」
「こんにちは」
和美と音也が緊張している表情で頭を下げた。
「音也君、今いくつだっけ?」
神田の問いに音也は元気よく答えた。
「小学5年生です!」
「じゃあそろそろお父さんみたいにサックス吹くのか?」
「う、うーん・・・わかんない・・・」
「おいおい、急に元気がなくなるなぁ」
会場の笑い声の中、慎吾が苦笑いしながら言うと、音也は恥ずかしそうな顔をした。
「おーい、kankanさーん、個人的会話になっておるぞー」
神田の目を細める表情がディスプレイに映し出されていたが、そんな数馬の言葉で神田は我に返り、先ほどのアナウンスの続きを始めた。
「失礼しました。じゃあ東京のメンバーを慎吾、紹介してくれ」
「はい、ドラムス佐々岡優、ベース佐伯数馬、アルトサックス有戸慎吾でお送りします。それから途中からボーカルの石田恵理奈が加わります」
「OK、じゃあ奈緒子、名古屋の紹介をよろしく」
「ピアノの井口奈緒子です。これ、私の家なんで、お客はうちのダンナと息子の慎太郎だけです。あ、こら、慎太郎、おとなしく座ってなさい」
奈緒子の足元を危なかしくよちよちと歩く子どもの姿と、それを追いかける奈緒子の夫の姿が映し出されて、ロリンズの店内から笑いが漏れた。その笑いが収まったのを確認して神田が奈緒子に尋ねた。
「慎太郎君はいくつになった?」
「今2歳です。私もそろそろ育児休暇切り上げて現場復帰しなくちゃ・・・」
「おお、復活宣言か?」
客席がどよめいた。正式に井口と結婚し、音楽活動上も萩原姓から井口姓に名を改めた奈緒子は、しばらく育児休暇のため第一線を退いていた。その復活宣言ともとれる言葉で、昔からの奈緒子のファンが色めき立ったのである。そのどよめきが収まるのを待って、神田がさらに続けた。
「こちらは新潟市のブルーロッジです。こちらからは、テナーサックス手内奏一、アルトサックス手内亜希子、同じくアルトサックス神田宏一がお送りします。ちょっとサックス吹きの数が多すぎるような気もするけど、ジャムセッションなんでご勘弁下さい。いい世の中になったもので、こうやって離れた場所からでも一緒に演奏できるのです。今日のメンバーは昔からの友人たちですが、同じ場所に居なくても、こうやって絆が繋がっていると実感できるのです。なので・・・」
「神田さん、セリフが長いよ。しかもクサい。早く演奏しようよ」
神田の言葉を遮るような亜希子の言葉で一同は笑った。
「亜希子、おめえって奴は・・・。じゃあ、早速演奏に行きましょう。カウントよろしく」
「1,2,1,2,3,4」
 優のカウントで「Just Friend」が始まった。演奏は最初は好調だった。ロリンズの店内でもどよめきが起きた。しかし先発で演奏した奏一のソロの最中で、奈緒子のピアノの音が聞こえなくなった。
「奈緒子、ピアノの音聞こえないぞ」
 慎吾の耳にヘッドフォンを通じて神田の声が聞こえた。それに対して焦った様子で奈緒子が答えた。
「ごめんなさい、慎太郎がマイク倒しちゃった」
 奈緒子はいったんピアノの前を離れて夫の井口とマイクを直しているようだった。その修復が終わらないに、今度は数馬の声が聞こえた。
「神田さん、俺のヘッドフォン、全然返しが来ないんだけど!」
「俺のもです」
数馬に続いたのは優の声だった。
「俺のは返しどころか、音がなんにも聞こえないんだけど!」
慎吾は優の足元を見た。何かの拍子で優のマイク付きヘッドフォンのジャックが抜けていた。慎吾はそれを拾うと無造作にジャックに差し込んだが、その瞬間、ビビビビと巨大なノイズが発生した。演奏者は全てあわててヘッドフォンを外し、演奏の手を止めた。
「だー!何しやがった!」
神田がマイクに向かって叫んだ。ロリンズの会場は爆笑に包まれた。
「ごめん、今の俺!」
慎吾はカメラに向かって手を合わせて謝った。新潟の様子を映し出すカメラに奏一の顔が大きく映し出された。
「なんだよ、慎吾さん。俺、調子よかったのに!」
「奏一!ごちゃごちゃ言うなよ、慎吾さんだって悪気があったんじゃないんだし」
今度は優がカメラの前に出て言った。せっかくのセッションが台無しになりつつあった。神田の声が大きく響いた。
「だめだめ、今日はもう失敗!面倒くさいからお前ら全員、これから新潟まで出てこい!」

<時の歩廊で 完>



posted by 山崎隆之 at 00:00| 時の歩廊で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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