2005年12月27日

時の歩廊で 第14部 「YOU AND THE NIGHT AND THE MUSIC」(5)

第70話

 ロリンズがこんなに混み合っているのを見るのは、そしてそんなロリンズで演奏するのは初めての経験だった。その大半は、昨日のテレビ中継を見ていた人たちだったが、赤坂にあるジャズ喫茶ロリンズは立ち見客が出るほどのお客で溢れていた。
 慎吾は全力で演奏した。いや、慎吾だけではない。優も、数馬も、そして奈緒子も全力を尽くして演奏した。
(・・・俺は、強いのか?)
 演奏しながら、慎吾は自問自答していた。その答えはどんなに考えてもとても出そうになかった。ただ慎吾の目の前には音楽が、ジャズが、大きな存在として横たわっていた。慎吾はそれに対して全力で挑みかかるだけだった。それは昔も今も変わっていない。昨日のライブでも今日のライブでも同じだった。
 ライブが終わると大きな拍手がロリンズを包んだ。テーブル席が明るくなると、満足そうな顔をしたお客は一人、また一人と帰っていった。誰もいなくなった頃を見計らって、慎吾はテーブル席に座った。呼んだわけでもなかったがその席に、優、数馬、そしてやや遅れて奈緒子が座った。何を話すわけでもなく四人は顔を見つめ合った。ロリンズのマスターが無言のまま、その席にビールとグラスを置いていった。
「やっぱ、乾杯やろ。かんぱーい」
 やっと口を開いたのは数馬だった。数馬はビールの入ったグラスを勝手に一人であげて、誰ともなく乾杯をした。
「乾杯なのかな?」
 優が笑いながら首を傾げた。
「慎吾さん、気分はどうなんですか?」
「・・・」
 なんと答えていいか慎吾はわからなかった。もちろん充実感はあった。しかし、今日一日のことを考えると、自分ばかりこうしてビールを飲んで音楽の余韻に浸っていることが不謹慎にも感じられていた。
「・・・よくわからないよ。石田さんが警察に出頭するというのは知っていたけど、みらい銀行は大騒ぎになっているし、宮田は警察に捕まっちゃうし」
「・・・そうね」
グラスにビールをつぎながら奈緒子が口を開いた。
「宮田くんって、普段は慎重なんだけど、いざとなると思い切ったことをするのよ。前だってそうだったじゃない。高校の吹奏楽部の顧問をなんとかしたいって言い出して慎吾君たちと別の先生に直談判に行ったりしていたじゃない?」
「それって、吉岡先生のこと?」
優が口を挟んだ。
「・・・そうだったね。そんなこともあったね」
 慎吾は当時のことをなんだか懐かしく思った。もう二十年以上も前のことだった。
「そうそう、吉岡先生って言えば」
優が話し始めたが、それを遮るように数馬が大きな声で言った。
「さあ、優、乾杯も終えたんやし、・・・帰るぞ」
「ち、ちょっと・・・」
 まだ話したさそうな優の襟首を掴んで、数馬がロリンズを出て行こうとした。慎吾は数馬が気を使ってるのがよくわかった。
「数馬!優!」
ロリンズの入り口で二人が振り向いた。
「ありがとうな!」
数馬はガッツポーズを見せ、優は手を振りながらロリンズを出て行った。
「数馬くん、気を使ったのね」
奈緒子が笑いながら言った。
「別に気を使う必要なんかないのにな」
慎吾は苦笑しながら席に座った。座ってみたものの、いざ目の前にすると奈緒子と何の話をしていいのか困ってしまった。
 ふと慎吾は、かつてこれと同じ気分を味わったことをふいに思い出した。あれは、大学に入学する前、住み慣れた新潟を離れる直前に、宮田や若山が奈緒子を新潟に呼んでくれた時のことだった。あの時の慎吾と奈緒子の間には、なにも妨げるものがなかった。しかし、今の慎吾と奈緒子の間には大きな溝が横たわっていた。
 慎吾は奈緒子の表情を盗み見た。奈緒子はやや疲れた表情を見せつつ、店のBGMに耳を傾けているようだったが、その表情から何を考えているのかはわからなかった。
「前にもこんなこと、あったわね」
 突然、奈緒子が口を開いた。
「高校を卒業する時の春だったね」
「ああ、・・・俺も今同じことを考えていた」
 慎吾は奈緒子の顔を見た。奈緒子も慎吾の顔を見て、笑った。
「なんか、あの時とはずいぶん違うよね、お互い」
「ああ、・・・自分じゃあの頃と何も変わってないつもりだったけれど」
慎吾は目の前に置いてあるビールを一口飲んで、続けた。
「こうやっていざ顔を合わせると、やっぱり変わったんだよな、俺も奈緒子も」
「うん、そう思うよ、私も」
奈緒子の笑顔につられて慎吾も笑った。
「奈緒子は、・・・強くなったよな。やっぱり名古屋に行ってからも頑張っていたんだなって思った」
「そうでもないよ。私は私で、居心地のいい名古屋で安穏としていたと思うの。ここに来るように優くんに説得された時、それに気付いたわ」
「優に?」
 奈緒子は無言のまま頷くと、慎吾のグラスにビールを注いだ。
「うん。優くんもずいぶん辛い目に遭ってきたからなのかな?立派になったよね」
「アイツ、帰ってきてすぐくらいの時はドラムをやめたいようなことを言っていたんだけど、神田さんに説得されたって言っていたね」
「私思うんだけど、優くんのドラムって、一緒に演奏している人が持っている全てのものを引き出されてしまうようなドラムだと思うのね。だから、もともと底の浅い人が優くんと一緒に演奏すると、すぐに自分の浅さに気付いちゃうのよ。だから、彼、敬遠されたんじゃないかな?彼、昔から自分を過小評価することが多かったから、余計にそうだったのかもしれない・・・」
「・・・ふーん」
「私ね、東京でも今度、演奏活動をしようと思うの。その時のメンバーとして優くんを誘っているんだ。もちろん、数馬くんも」
「数馬、うどん屋どうするんだろう?」
「やめるって言っていたわ。やっと自分の夢が叶いそうだって喜んでいた」
「夢、か・・・。俺には夢も希望もないんだよな」
「またぁ、そんなことを言って。失礼なのは承知の上で言わせてもらうけれど」
「・・・」
「今の慎吾くんってどん底なわけでしょ?」
奈緒子の言葉が胸に刺さった。でもそれは紛れもない事実であり、認めざるを得なかった。
「・・・ああ、確かに」
「どん底なんだから、どっちを向いても上がっていくしかないじゃないの」
「・・・」
「安心して。もう、これ以上は悪くならないんだから。石田さんや宮田くんが頑張って暮れたおかげで、あなたはどちらを向いても今より幸せなんだから」
 慎吾は奈緒子の顔を見た。幼子を慰めるような顔で、奈緒子は慎吾に微笑みかけた。

続く



posted by 山崎隆之 at 00:00| 時の歩廊で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。