2005年12月22日

時の歩廊で 第14部 「YOU AND THE NIGHT AND THE MUSIC」(3)

第68話

「ああ、来たね。昨日はお疲れさま」
恵理奈と別れた後、向かったみらい銀行の本社の支店第一部では、宮田がそう言って慎吾を出迎えた。
「辞表は?」
「もうシステム管理部に出してきた」
 宮田が用意した折りたたみ椅子を広げると、慎吾は周囲を見回しながらそれに座った。
「本当はもう部外者なんだから、こんなところに座っていちゃまずいんだけどな」
「まあまあ。今日はちょっとゆっくりしていくといいよ。面白いものが見られるから」
「・・・面白いもの?なんだそりゃ」
慎吾は宮田に尋ねたが、宮田はその話を故意に逸らすように別の話を始めた。
「事後承諾で申し訳ない。人事課に掛け合って慎吾くんの退職金、もう慎吾くんの普通口座に振り込ませてもらったよ」
「えっ?もう下ろせるの?」
「うん。オンラインの手続きも済ませたから、今頃はもう下ろしても大丈夫じゃないかな」
「なんでまた・・・」
今日の宮田は訳のわからないことばかり言っていた。慎吾はさすがに不審に思って宮田にもう一度尋ねた。
「なあ、なんかお前変だぞ。なにを考えてる?」
「う、うん」
宮田が身体を低くして、慎吾を手招きしたので、慎吾は宮田に顔の高さを合わせるように自分も身を低くした。そんな慎吾に宮田は小さな声で話し始めた。
「実はさ・・・」
「うん」
「慎吾くんたちが昨日セカンドセットを演奏している間、松山さんと話したんだよ」
「・・・ああ」
慎吾は、松山が一言で警官たちを追い払った昨日の本番前の出来事を思い出した。ほんの丸一日前のことなのに、ものすごく昔の話のような気がした。
「それで?」
「・・・ちょっと僕も驚いたんだけど、あの人、やっぱりただ者じゃなかったよ」
宮田がそう言った時、支店第一部の内部にちいさなどよめきが起きた。慎吾は思わず頭を上げて周りを見回した。支店第一部の行員の目は、みらい銀行の株価を示す電光掲示板に向いていた。
「・・・」
 慎吾は他の行員たちと同じように驚きの目をその電光掲示板に向けた。先週まで八十円ちょっとはあったみらい銀行の株価が、一気に六十円台に急落したのだった。驚く慎吾の横で、宮田が微笑を・かべながらその様子を見ていた。
「なあ、慎吾くん。慎吾くんは松山さんって何をしている人だと思っていた?」
「いや、俺は松山さんの職業とか、全然そう言うこと知らなくて・・・。だいたい、松山さんって単なる音楽仲間だったし、そういうプライベートの話を全然しなかったから・・・」
慎吾は頭の中に松山の柔和な笑みを思い・かべた。
「松山さんって、・・・実は富士友生命保険の会長だってさ。業界一位の」
「え?」
唖然とする慎吾にさらに宮田が追い打ちを掛けるように言った。
「そう、うちの筆頭株主さ。藤木専務の一連のことを知って、さすがに呆れたみたいだね。警察をああやって追い払うことが出来たのも、警察のお偉いさんの知り合いが友達にいたからだそうだ」
「なんでそんな人のこと、藤木専務が知らないんだ」
「その辺が成り上がり者の弱さだな。まあおとなしくしていればいずれ違う形で顔を合わせたかもしれないけれどね」
「・・・」
「内部抗争ばかりに目を向けてきて、外部に目を配らなかった奴には報いがあるのさ」
「報い?」
慎吾が聞き返すのと同時に、もう一度、支店第一部内で大きなどよめきが起きた。みらい銀行の株価がさらに低下し、五十円台に突入したのだった。
「・・・さて、これから大変だぞ。なんたってこのみらい銀行は今、破綻への道をひたすら進んでいるんだからな」
「・・・おい、何を言っているんだ、宮田」
慎吾は信じられないといった顔で宮田を見た。宮田の顔にはな造か微笑すら・かんでいる。
「だって、あれ見てみろよ」
「・・・あ」
 支店第一部に設置してある金融専門のケーブルテレビでも、先ほどからずっとみらい銀行株価急落のニュースをやっていたのであるが、その画面に「松山史郎 富士友生命会長」のテロップとともに松山の顔が映し出された。
「・・・なんで松山さんの写真が?」
「昨日、さすがに松山さんも頭にきたみたいで、明日私の手でみらい銀行に引導を渡すって言っていた。富士友はうちの株式の二十パーセント弱を保有しているから、それを市場に放出したんだろう。それが今日のこのうちの株価の暴落に繋がっているんだ」
「ちょっと待てよ、宮田。・・・だいたいなんでお前、笑っているんだよ。こんな大事な時に・・・」
「だって、楽しいじゃん。僕たちは今、歴史的瞬間を目撃しているんだから」
 次に起きたどよめきはさらに大きかった。みらい銀行の株価がついに五十円台を割り込んだのだった。同時に株価の横に「取引停止」と表示された。あまりの下落幅の大きさに、ついに証券取引所がみらい銀行株の取引を停止したのだ。
「さあ、これでいよいよ額面割れだ。さて、金融庁もこのまま放置するのか、それとも預金保険機構で株を買い取って国有化するのか・・・」
 人ごとのように言っている宮田が何かに気付いたように視線を送った。慎吾がその方向に振り向くと、そこには検査部の大谷の姿があった。
「大谷さん・・・」
妻、和美と交際しているという男の顔が目の前にあった。慎吾は思わず大谷を睨みつけたが、大谷の方は柔和な笑みを慎吾に向けた。かつての宴会の席で、慎吾を見下したような視線を送っていた男とは別人のようだった。
「有戸さん。昨日は素晴らしい演奏をありがとう。楽しませてもらったよ。・・・私には音楽のことはわからないけれど、昨日の演奏は本当によかった」
「・・・いえ」
何と言っていいかわからない慎吾の横から、宮田が大谷に声を掛けた。
「じゃあ、大谷さん。いこうか」
「ああ」
宮田は慎吾を見ると相変わらず微笑を・かべながら聞いた。
「なあ、慎吾くん。今日もライブなんだろ?何時までここにいられる?」
「・・・う、うん。五時くらいまでなら」
慎吾は時計を見た。そろそろ三時、株式市場が閉まる時間だ。みらい銀行の株価は相変わらず「取引停止」の表示が出たままだった。
「ちょっと待っていてもらえるかな?そこ座っていていいから」
「・・・どこか行くの?」
「ああ、ちょっとだけなんだけど出てくる。もし帰ってこなかったら適当に帰っていいから。あ、それから今日中に退職金を降ろしておいた方がいいよ。定期もできるなら早いほうがいいだろう。預金は保護されることになるだろうけれど、明日あたりきっと取り付け騒ぎが起きるだろうから・・・。じゃあ、いこうか」
宮田が大谷と連れだって出て行くと、慎吾は一人取り残された。慎吾は所在なく、慌てふためく元同僚たちの姿を見ていた。「・・・」
 もうやめた銀行とは言え、元同僚たちが慌てふためく姿を見るのは辛かった。一時しのぎにATMにお金を下ろしに行こうと腰を上げた慎吾の耳に、宮田の声が聞こえたような気がした。慎吾は周囲を見渡したが、そこに宮田の姿はなかった。
「・・・」
「みらい銀行の行員の皆さん」
 今度は明確に宮田の声だった。その声は建物内のスピーカーから流れていた。
「支店第一部次長の宮田圭です。今日は株価急落でさぞかし驚いていると思います。その株価急落の理由を皆さんにお話ししようと思って、今日は放送設備をお借りしています」
何をする気だ・・・。慎吾は息をのんだ。そこに廊下から一人の男が支店第一部内に飛び込んできて、大きな声を上げた。
「大変だ!宮田次長が検査部の大谷次長と一緒に、行内放送室に立てこもった!」
どよめいていた支店第一部の空気が一気に凍り付いた。男はさらに続けた。
「しかも、・・・藤木専務をナイフで脅して人質に取ってるんだ!」

続く



posted by 山崎隆之 at 00:00| 時の歩廊で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。