2005年12月21日

時の歩廊で 第14部 「YOU AND THE NIGHT AND THE MUSIC」(2)

第67話

「それで、有戸さん、今日はどうするの?」
 慎吾は恵理奈の言葉で我に返った。
「うん。・・・今日は君を見送った後、本社に辞表を提出してくる」
 慎吾は持っているカバンから「辞表」と書かれた白い封筒を出して恵理奈に見せた。
「・・・そう・・・。いよいよみらい銀行をやめちゃうのね」
そう言うと恵理奈は俯いた。これから警察に出頭する恵理奈を送っていくのが、今日の慎吾の最初の仕事だった。恵理奈はそのことに怯えているに違いなかった。慎吾は失礼かと思いつつ、その事を聞いてみた。
「変な質問するけど・・・。石田さん、怖い?」
恵里奈はしばらく慎吾の顔を見つめ、そして言った。
「・・・うん。でも、きちんとけじめはつけなくちゃ・・・。藤木のこともちゃんと言わなくちゃならないし」
「そうだけど・・・。でも奴のことだ。しっかり口封じをしていると思うんだよ。昨日、俺と石田さんを警察が捕まえに来たのはその証拠だと思う。きっと奴なりに、石田さんが警察で何を言っても大丈夫なように裏から手を回していて、それで大丈夫だと思ったから昨日あんなことをしたんだろう」
「・・・」
「それに神田さんの事故の件ももう時効が成立しちゃっているし、藤木の悪事を警察で言うと言ってみても、話はそんな簡単じゃないと思うんだ」
「うん、わかっている。でも・・・」
恵理奈は指先でカップの縁をなぞりながら言った。
「でも、私が言わなくちゃなんにも始まらないのよ。実は昨日、もし私が何も言えなかったことを想定して、私の言わなくちゃならないことを書類にまとめて全部宮田さんに渡したの」
「だったら、それに任せちゃえば・・・」
「ううん・・・」
恵理奈は頭を振った。
「私が言わなくちゃ。いや、むしろ、私が警察で全てを正直に言うことに意味があると思うの。一番の被害者だったお母さんももう死んじゃったから、その敵も討ちたいの・・・。藤木のことを言うことで、私にもきっと・・・、辛い罰が下されると思うけれど、でもそれも仕方ないと思うの・・・」
恵理奈が顔を上げた。しかし、その顔は意外なことに晴れ晴れとしていた。
「頑張るよ、私。・・・きっと、あの人の悪事を暴いてみせるから。そして、それだけの勇気はあるから」
「・・・」
「その勇気は、あなた達があの演奏でくれたんだから」
「・・・あの、演奏で?」
慎吾の質問に恵理奈が微笑みながら答えた。
「すごい演奏だったわ・・・。とてもアマチュアが入っているバンドとは思えなかった。あんなすごい演奏聞いたの初めて・・・」
「・・・」
「世の中、強く念じれば不可能なことってないのね・・・。私そのことがよくわかったの。だから、私、頑張る。自分の過去の過ちを一つでも償えるように、頑張る」
「・・・」
なんて強い人だ。慎吾は思った。自分にもその強さを分けて欲しいと思った。この石田恵理奈に比べたらなんと自分は弱く、だらしないのだろう。恵理奈の顔を見ているうちに、かえって慎吾は自己嫌悪に陥るようだった。
「あ、もうこんな時間・・・。もう行かなくちゃ」
恵理奈がカバンを抱えて立ち上がった。慎吾も慌てて立ち上がった。

 慎吾と恵理奈は赤坂のホテルを出た。空を見上げるとすでに秋の気配が漂っていた。
「なんか、・・・これから警察に出頭するなんて、ウソみたいね」
恵理奈が笑った。慎吾はどう答えていいかわからなかった。
「なによ、有戸さんがそんな深刻な顔をしないでよ」
「・・・うん」
「有戸さんだってこれから大変なんでしょ。辞表も出さないといけないし、それに家族も養っていかないといけないし・・・」
「・・・そうだね」
「そう言えば聞いてなかったんだけど、有戸さんこれからどうするの?プロになるの?」
 慎吾は答えに詰まった。みらい銀行を辞めた後、自分の身の振り方をどうするかという問題は、慎吾が直面している最大の問題だった。自分の気持ちに正直になれば、プロミュージシャンとしてやっていくのが一番だった。しかし、それは同時に妻や子との本当の別れに繋がっているような気がして、慎吾はそれに踏み切れずにいた。
 とはいえ、慎吾は「組織」というものにもウンザリしていた。黒いものを白と言い、白いものを黒と言うような世界には、また入っていきたくなかった。慎吾の頭の中は、白紙状態といっていいくらいだった。
「わからないんだよ。それが・・・」
 慎吾は小声で呟いた。呟いた後で、なんて自分はかっこわるいんだろうと思った。
 赤坂見附から坂を上ると赤坂の警察署があった。恵理奈はここに出頭すると最初から決めていたようだった。あと百数十メートル歩けばその赤坂の警察署・・・。慎吾は身の振り方について悩むのと同時に、そのことも気になって仕方なかった。
「・・・まあ、とりあえず、今日のライブをロリンズでこなしてから、・・・それから考えるよ・・・」
 今日のライブは、数馬が希望した「純粋に音楽を目的とした」ライブであった。昨日集まったメンバーのうち、昨日のうちに車で帰宅した奏一と今日警察に出頭する恵理奈を除いた、慎吾、数馬、優、そして奈緒子で行うものである。今度は昨日のライブと違い小さな会場であり、また時間を気にせずじっくり演奏できるという意味で、慎吾にとっても楽しみなライブであった。
「そうか、今日また演奏するんだったわね。羨ましいなぁ・・・」
「聴きたかったの?演奏したかったの?」
「・・・両方!」
 恵理奈が微笑んだ。二人の視線の先に赤坂の警察署が大きく見えてきた。やがてその前に到着すると、恵理奈は慎吾と向き合った。
「じゃあ、私はここで・・・。ごめんね、こんなところまでつき合わせちゃって」
「うん・・・」
 慎吾の心中は複雑だった。恵理奈は晴れ晴れとした顔をしているが、慎吾はまた一人、女性を幸せに出来なかったような気持ちになっていた。さらに自分の将来に関しての不安もあった。きっと俺は情けない顔をしているんだろうな、と思った。
「有戸さん、どうしたの?冴えない顔をして・・・」
恵理奈が首を傾げて聞いた。
「・・・そりゃ・・・、冴えない顔にもなるよ。笑顔で送り出すって場所じゃないだろ」
「じゃあ、有戸さん。有戸さんが笑顔になれるようなおまじないしてあげる。・・・有戸さん、目つぶって」
 慎吾は恵理奈に言われるまま目を閉じた。数秒後、慎吾の唇に柔らかいものが触れた。驚いて慎吾が目を開くと、そこに恵理奈の姿はなかった。
「有戸さん、じゃあ、行ってくるから!元気で頑張ってね!」
 恵理奈は警察署の入り口に向かって歩き出していた。慎吾は自分の唇に手を当てながら、呆然と恵理奈が手を振る姿を見送っていた。恵理奈は正面を向くと、振り向くことなくそのまま警察署の中に入っていった。

続く



posted by 山崎隆之 at 00:00| 時の歩廊で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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