2005年12月20日

時の歩廊で 第14部 「YOU AND THE NIGHT AND THE MUSIC」(1)

第66話

 朝、慎吾は赤坂のホテルのロビーにいた。昨日の疲れからか体中の節々が痛かった。腕を回し、首を左右に振っても、疲れは簡単に抜けそうになかった。
(あのライブの翌日だからなぁ・・・)
 それでも目が覚めたのが早かったのは興奮が冷めやらなかったことと、「あのこと」があったからだろう。昨日の演奏を思い出すだけで慎吾は未だに身体が熱くなる。しかし、「あのこと」を考えると逆に慎吾は憂鬱になる。非常に複雑な気分だったが、慎吾はなるべく演奏のことだけを考えるようにした。
(それにしても・・・。あんな演奏をこの先経験することが出来るんだろうか?)
そう思うとかえってなんだか辛くなることに、慎吾は気付いた。昨日のライブは特殊な状況で演奏したが故の心理状態が生み出した、偶発的な演奏だった。そうした演奏が出来たのは、高校時代に二回経験している。一回は手内奏一とバトルをやったあの文化祭での演奏であり、もう一回は神田宏一が事故にあった翌日、一睡もしないで演奏した寺尾台高校音楽部の演奏会である。
(あれからそろそろ二十年か・・・)
 こうした充実感は二十年に三回しか経験できないのか・・・。音楽なんてなんて割りの悪いものだろう。しかし、これがあるからこそ音楽はやめられないのだと思う。
(それにしても、さすがに眠いなぁ)
 昨日立川にある自宅にタクシーで帰ったのは夜中の三時だった。慎吾は時計を見た。時計の針はそろそろ十時を指そうとしていた。
(・・・そろそろ来るかな)
そう思いながら慎吾は大きなあくびをした。
「まあ、大きなあくびね」
 言われて慎吾は慌てて声の方向を見た。そこに立っていたのは大きなカバンを手にした石田恵理奈だった。
「待った?」
「・・・いや、全然」
 慎吾はソファを指さして座るように促し、コーヒーを二つ注文した。恵理奈はソファに腰を下ろすと、微笑んで、言った。
「昨日はお疲れ様でした」
「お疲れ様・・・。どう、今朝の気分は?」
「うん、最高。あんな気持ちよく歌えたのは初めて」
 慎吾は様子をうかがうように、気にしていたことを聞いた。
「・・・最初の目的は果たせなかったけれど、・・・後悔していない?」
 恵理奈はしっかりと頷いた。
「あの時・・・、『もう歌うだけでいいじゃねえか』ってステージにあがる直前に有戸さんが言ってくれて、私、実を言うと内心ほっとしたの。だいたいあんなことをジャズを聴きに来た人に伝わるように上手くしゃべれるかどうかもわからなかったし、・・・それに、アレを言ってみたところでテレビカメラも回ってなかったし・・・、だいたいお客さんはなんのことかわからないわよね」

 慎吾は昨日の「あのこと」を思い出していた。結局、恵理奈は準備していた「衝撃の告白」をしないまま、そのステージを歌いきった。会場はファーストステージと同じように盛り上がり、そして恵理奈はアンコールにも応えてステージは終った。ライブが終わったのは夜一時近かった。満足げな表情で帰っていくお客が出て行った後、会場の客席には二人の男が残っていた。藤木と宮田だった。
 宮田が慎吾に手招きをした。慎吾は汗を拭きながら二人の元に行った。
「藤木専務、今日はお忙しいところ来てくれてありがとうございました」
 慎吾は一応形だけの礼を述べた。藤木はそんな慎吾を睨み、その視線を外さないまま口を開いた。
「宮田さん」
「はい」
「今日はいったい何だったんだね?有戸さんと石田さんがなにかよからぬことをたくらんでいると君が言うから私は来てみたんだが。結局何も起こらなかったじゃないか」
「・・・」
「くだらない、自己満足の演奏を聴いて貴重な時間をつぶしただけだった。いったいどういうことだ?」
「いや、専務。そうではありません」
宮田が口を開いた。そしてその言葉に慎吾は驚いた。
「この有戸さんには、職務規程違反の疑いがあります。当みらい銀行の職務規程の第十五条では、当行の行員は許可なくしてアルバイト等により副収入を得ることを禁じております。今日のこのライブ、チケットは二千円です。通常こうした会場での演奏では、半額が会場となるお店が取り、残り半分は演奏したミュージシャンに支払われると聞いています」
「いや、それは・・・」
 言いかけて、慎吾は口をつぐんだ。今回のライブで慎吾の手元には一銭のお金も入らなかった。プロミュージシャンである奈緒子や優のギャラ、あるいは青山瑞穂への謝礼、手内奏一への交通費などで、アマチュアである慎吾に配分するギャラは全くなかったのである。しかし、宮田が何の考えも無しにこうした発言をするとは思えなかった。慎吾は無言のままことの成り行きを見守ることにした。
「こうしたアルバイト行為自体が非常に重大な違反行為になるとは思えません。しかし専務、この有戸さんは先日のサーバ破壊事件の時にも、本来管理していないといけないはずなのに、休暇を取っていました。これは職務規程違反にはなりませんが、自己の職務の責任という意味では違反ぎりぎりのところだと思います。ここは、どうでしょう、専務。有戸さんにはこれを機会に自主的に銀行を辞めてもらった方がいいと思うのですが・・・」
「ち、ちょっと、宮田、何を言いだすんだ!」
 慎吾は慌てた。宮田は慎吾の目を見ながらさらに続けた。
「有戸さん。今日の演奏で僕にもわかったよ。君はもう銀行にいるべきじゃない。やめたほうがいいだろう?」
「・・・」
 慎吾も宮田の目を見た。慎吾は宮田が何を考えているかはわからなかったが、しかし、宮田の目の輝きから、彼なりに何かしらしっかりした考えを持っているのだけはわかった。
「わかったよ、宮田。・・・明日辞表を出しに行くよ」
「どうでしょう、専務?有戸さんはこう言っていますが・・・」
「別に促すほどのものでもないと思うけれど・・・」
 藤木も宮田の発言がやや意外だったのか、ちょっと驚いたような表情を浮かべながら言った。
「いや、その方がいいです。今日のライブはテレビ局も入りましたし、マスコミもずいぶん押しかけました。変に疑われる前に先手を打った方がいいんじゃないですか?」
「・・・まあ、本人の勝手だけどな」
 そう言うと藤木は視線を逸らした。その隙を見計らって宮田は慎吾に両手の掌を合わせ、謝るようなそぶりをした。詳しいことはあとで聞けばよい。そう思い、慎吾は宮田に話を合わせることにした。
「・・・わかったよ。明日辞表を持って本社に行くよ」
「ああ、辞表を提出したら僕のところに寄って。待っているから」
 藤木に聞こえないように小声でそう言うと、宮田は藤木を促し、そして帰っていった。宮田の言うことに従ってみたものの、慎吾の頭の中は混乱していた。今みらい銀行を辞めたところで、なんの生活のあても立っていなかった。そしてなにより、こんな簡単に今まで十数年働いてきた銀行をやめることになるとは、慎吾自身思ってもいなかった
「いいのかな、こんなんで・・・」
誰もいなくなった客席で、慎吾は立ちつくした。

続く



posted by 山崎隆之 at 00:00| 時の歩廊で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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