2005年12月19日

時の歩廊で 第13-b部 「IT DON'T MEAN A THING」(3)

第65-b話

 慎吾が自分を呼ぶことを奏一はもう予測していた。奏一が軽く頷き、歩き出そうとすると、神田が奏一に声を掛けた。
「奏一、行くのか?」
「・・・ええ、行きます」
神田は奏一の目を見据えると、一言だけ言った。
「・・・悔いのないようにやってこいよ」
「はい!」
 奏一の目の前にライトと観客のどよめきが広がった。今日は話だけと聞いていた観客は、奏一が銀色のテナーを片手にステージ上に姿を現すという「予期せぬ事態」を歓んで迎えた。
 奏一は自分の立ち位置を確認すると、真正面から客席を見据えた。不思議と緊張していなかった。ただ、自分の体内に熱い血が流れ、それが頭の先から足の先まで身体の隅々に行き渡っていることは確認できた。
(今日は・・・、いける!)
 奏一は確信した。今まで出なかったジャズのフレーズが、今日なら出せる。奏一の体内に流れる熱い血が、それを確信させたのだ。
「いくか・・・」
 そう言うと、慎吾はカウントを出した。かなり早めのテンポで「invitation」が始まった。奈緒子のアルバムに取り上げられている曲でもあり、それを知っている奈緒子のファンたちが立ち上がって喜んだ。いや、奈緒子のファンだけではなかった。慎吾と奏一が奏でる「invitation」のテーマを聴いた瞬間、そこにいたものは、ほとんど座っていられなかった。
 奏一は全身全霊を込めてサックスを吹いた。しかしテーマも後半に入った時、奏一の中に再び不安の陰が広がった。本当にアドリブでソロが吹けるのだろうか?一瞬迷ったものの、慎吾はソロの先発を奏一に譲ることをすでに目で合図していた。
(・・・いけーっ!)
 濁流に飛び込むような気持ちで奏一はソロに突入した。最初の四小節、奏一は思うままにフレーズを繰り出した。奏一の中に稲光のような鋭い衝撃が走った。それは懐かしくもあり、気持ちのよい衝撃だった。
(ああ、・・・これだったんだよ)
 奏一は背中で優と奈緒子と数馬を意識した。この感覚・・・。十数年前にいったんサックスを置いてからついぞ味わっていなかった感覚だった。奏一はつい楽器を口から離し、天を仰いでその余韻を楽しんだ。
(やっぱり亜希子が言ったとおりだった。・・・このメンバーじゃないとダメだったんだな)
 奏一はサックスを再び構えると、またアドリブに突入した。少し前まで、身体の中からフレーズが出てこないと悩んでいた奏一とは全く別人の奏一がステージの上にいた。
 優が、奈緒子が、数馬が、奏一のフレーズを時には刺激し、時には労りながら、まるでその周囲を飛び交うように演奏した。
(これだよ、これ!)
 奏一はすでに恍惚の域に達していた。命をかけて演奏をしていたあの十数年前の記憶が鮮明に甦ろうとしていた。東陽学院大学にいた日々のこと、フランス料理店プルミエールでウェイターのアルバイトをしていた時のこと、入院していた新潟の病院の窓から見た外部の明るさ、病院を抜け出してやっとたどり着いた優のアパートでの優の焦り顔、中野サンプラザのステージの上で完全燃焼したこと・・・。全てが怒濤のように奏一に押し寄せた。その一つ一つを愛おしみながら、奏一はソロを吹ききった。拍手が大きな波のようになってステージ上に押し寄せた。
 ソロが慎吾に渡った。慎吾は奏一が最後に吹いたフレーズを発展させながら、だんだんソロのテンションを高めていった。高校時代、大学時代と常に奏一の前を歩いていたのがこの有戸慎吾だった。十数年ぶりに合う慎吾は、年相応に老けていた。サックスから出てくる音はあの時のままだったが、より深みを増しているようにも聞こえた。優の話では慎吾はずいぶんと仕事のことで苦しんでいるとのことだった。しかし、目の前にいる慎吾は、すでにそうしたしがらみから一切解き放たれた顔をしていた。
(あの頃のままだね、慎吾さん)
 慎吾の顔は完全に高校時代に戻っていた。音楽のことしか考えていない顔だった。慎吾は全てを出し切ったような表情でソロを終えた。しかし、それは奏一にとって決していいことではなかった。慎吾と奏一はお互いフロントの立場であり、一緒に吹くのはこのままではテーマだけになってしまう。奏一は思わず慎吾に話しかけた。
「・・・慎吾さん、さすがですね。でも、これで終わりじゃないでしょ?」
「・・・」
「・・・そう満足げな顔をされても困ります。バトルやりましょうよ」
「・・・OK」
 慎吾が笑って答えたので、奏一も頷いた。曲は奈緒子のソロから数馬のベースソロに移り、やがて優のドラムソロに移行した。そしてドラムソロが頂点に達したところで慎吾は奏一とのバトルを行う合図を出した。
 バトルの先発は奏一だった。奏一が二小節吹いたところで、慎吾がサックスをその上に被せてきた。
(そう来たか)
 奏一は、慎吾にソロを譲り、またその上に自分のサックスを被せた。そのまた上に慎吾が自分のサックスを被せた。慎吾のアルトと奏一のテナーが時にもつれ合い、時に反発しあいながら、お互い影響しあって高揚していった。いつの間にかテレビ中継のカメラの赤ランプは消えていた。聴いている客も呆然と見守るしかなかった。2本のサックスは絡まり合いながらいつまでもうねり続けるのだった。

 演奏を終えステージの袖に戻る奏一を亜希子と子どもたちが迎えた。その顔を見た時、奏一は一気に緊張が緩んだ。
「なんだ、二人とも起きていたのか」
「うん、あなたが演奏に加わるところで起きてきたの」
亜希子が笑顔で答えた。普段はクールな長女の茜が目を輝かせながら奏一に言った。
「お父さん、かっこよかったよ」
妹の紗耶香もそれに続いた。
「うん、すごくかっこよかった」
奏一は無言のまま目を細め、掌を二人の娘の頭の上に置いた。掌に伝わる二人の熱は、そのまま二人の感動を伝えているようだった。
「奏一!」
 声を掛けられ振り向くと、そこには神田が来ていた。神田はにこりと笑うと、奏一に言った。
「今日は一本取られたよ。まさかこういう展開になるとは思わなかった・・・。でも・・・」
神田は向こうで石田恵理奈を交えて演奏の打ち合わせをしている慎吾を見ながら言った。
「今日の計画は台無しになったけれど・・・。でも、あいつもこれでこの先の身の振り方を決めるきっかけにはなっただろうな・・・」
「無駄じゃなかったですね、神田さん」
 奏一の言葉に神田が微笑んだ。

続く



posted by 山崎隆之 at 00:00| 時の歩廊で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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