2005年12月15日

時の歩廊で 第13-b部 「IT DON'T MEAN A THING」(2)

第64-b話

 奏一は慎吾を見た。数メートル先にいる慎吾は、明らかに迷っていた。数馬の「挑発」に乗っていいのかよくないのか、・・・迷った末に出てきたフレーズは明らかに気持ちの籠もっていないものだった。慎吾が演奏を「流している」のは明白だった。
(慎吾さん、どうするんだ?)
 やがて顔を見合わせていた奈緒子のピアノと優のドラムが止まった。二人とも戸惑いながら、慎吾を見つめ続けていた。奈緒子も優も、慎吾がどういう対応をするのか見極めているようだった。もし自分が慎吾と同じ立場だったら・・・と思うと、奏一にはその判断の難しさがよくわかった。もちろん、神田の立てた「計画」を実行することの必然性はよくわかっていた。しかし、これだけ演奏に集中してきて、そして同じバンドのベーシストにこれだけ「挑発」された時、それを拒むだけの勇気が奏一にあるかと言えば、首を縦に振るだけの自信がない。
「・・・」
 それは「挑発」というより、「もっとやろうぜ」という「勧誘」だった。それに気付いた時、「もし自分なら」という問いへの答えを奏一は導き出した。
(慎吾さん、演奏を優先してくれ。ここで数馬の誘いにのらなけりゃ、あなたは真のミュージシャンじゃないよ)
奏一は生唾を飲んだ。そして慎吾に念を送った。
(答えろ、慎吾さん!数馬の誘いに。答えてくれ!)
奏一の心が伝わったのか、慎吾が奏一の方を見た。その瞬間、慎吾は目を見開いた。
(あ・・・)
 奏一にはわかった。今、慎吾が奏一の気持ちを受け止めたことを・・・。迷いを振り払った顔だった。慎吾は奈緒子に、そして優に対して頷くと、今度はしっかりと気持ちの籠もったフレーズを繰り出し始めた。
(やった!)
 奏一は嬉しかった。しかし同時に、横にいる神田が膝を叩いて悔しがった。
「慎吾のやつ!」
 固まった慎吾の気持ちに対応するように、優のドラムと、やや遅れて奈緒子のピアノが再び曲に加わることで、「Black Nile」は息を吹き返した。優の叩き出す複雑なポリリズムの上に、慎吾のサックスが縦横無尽に踊っていた。
「持ってきたわよ」
肩を叩かれ、奏一が振り向くと、亜希子が立っていた。楽屋からサックスのケースを持ってきていた。奏一はそれを受け取ると、しゃがんで楽器を組み立て始めた。
「ねえ、どうするつもり?」
 奏一は答えなかった。答える必要がなかったからだ。楽器を組み立てる理由は一つ、演奏するためである。慎吾たちの演奏を唖然と見ていた神田が、奏一に何か言おうとして振り向いたが、そこで楽器を組み立てている奏一を見て目をむいた。
「お前、何やっているんだ?」
「何やってるって・・・。見てのとおりですよ」
「ちょっと待てよ。そんなことしてみろ、ますますテレビの生中継に間に合わなくなるじゃないか!」
奏一は楽器を組み立てて、それを手に立ち上がると、落ち着いて神田に言った。
「いいんじゃないですか?その決断をしたのは慎吾さん自身ですよ」
「・・・」
「生中継をされないと一番困る慎吾さんが下した決断です。そして・・・」
 奏一はステージの上に視線を移した。ステージ上では、奈緒子にピアノソロを譲った慎吾が、なぜかこちらを見ていた。
「そしてなにより、・・・慎吾さんが私を呼んでいます」
慎吾と視線が合った。奏一は静かに頷いた。ほんの小さな仕草だったが、それがわかったと見え、慎吾は少しだけ微笑むとまた演奏に集中したようだった。ほんの小さなやりとりだったが、自分の気持ちが慎吾に伝わったことが、奏一には手に取るようにわかった。
「勝手にしろ!」
 神田は奏一から視線を逸らし、頭を抱えてうずくまった。
 一部の観客たちは立って彼らの熱演を讃えていた。奏一が久しぶりに聞く観客のどよめきに身を任せていると、後ろから腕を捕まれた。振り向くと、亜希子だった。
「行くの?」
「・・・ああ」
「それは、今だけ?それとも?・・・」
亜希子は真剣な顔をして尋ねた。奏一には質問の意味を推し量ることが出来なかった。聞こえてくる圧倒的な音の塊を背に、奏一は亜希子に聞き返した。
「なに?それ、どういう意味?」
亜希子はしばらく無言のまま奏一を見つめていたが、その目から大粒の涙が溢れてきた。
「お願い、約束して。あなたには私もいるし、茜と紗耶香もいるのよ」
「・・・」
 奏一はやっと亜希子の真意を理解した。おそらく亜希子は、音楽のことだけを考えている今の奏一を見て、自分たち家族の生活がおかしくなるのではないかと直感的に感じ、そして恐怖心を抱いたのだろう。
「なんでそんなことを聞くの?」
「だって・・・。今のあなたの顔、大学生の時とまるで同じ表情をしているんだもん」
「大学生の時と同じって?」
「・・・音楽のことしか考えていない顔・・・」
「・・・」
「お願い、きちんと頭の隅に留めておいて。あなたはもう音楽だけでは生きていけないの。家族たちがいるんだから・・・お願い」
そう言うと奏一の腕を握る手もそのままに亜希子は俯いた。奏一は亜希子の手の上に、自分の手を重ねると、それを握り、自分の腕から外した。
「・・・大丈夫だよ。・・・今、今だけだから」
「・・・うん」
 亜希子はやっと安心したようだった。自分の気持ちに水を差されたような気がして、奏一は少し不機嫌になったが、しかし、やがて聞こえてきた優のドラムソロを聴くと、また自分の心に火がついたことを感じた。
 佐々岡優が一心不乱にドラムソロを紡いでいた。高校時代からの親友が、全てを出し切ろうとしてもがいていた。自分の父親から伝授されたもの、寺尾台高校で育んだもの、東陽学院大学で獲得したもの、そしてアメリカ留学で培ったもの・・・。その全てをこのステージ上で出し切ろうとしていることが、奏一にはよくわかった。
 圧倒的な演奏のまま「Black Nile」が終わろうとしていた。至福の時間が、慎吾がサックスを振り下ろすことで終了した。観客たちは総立ちだった。会場の拍手が高波のように慎吾たち四人を包んでいた。慎吾はマイクを手に取ると、奏一の方に向かって叫んだ。
「奏一、お前の出番だ!」
 奏一の体中に熱い血がたぎった。こんな感覚はしばらく経験していなかった。奏一はストラップの長さを調節すると、楽器をそこに掛けた。

続く



posted by 山崎隆之 at 00:00| 時の歩廊で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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