2005年12月14日

時の歩廊で 第13-a部 「I DIDN'T KNOW WHAT TIME IT WAS」(1)

第63-a話

 奏一が反対側の舞台袖に姿を消して、ステージの上は暗転した。その中を慎吾、数馬、奈緒子、優の四人はそれぞれの演奏位置に進んだ。
 慎吾は、気付かれないように奈緒子の方を見ていた。先ほど姿を現してから、ほとんど奈緒子と言葉を交わしていなかった。特に積極的に話さないといけないことはなかったし、聞きたいこともなかったのであるが、それでも慎吾は一抹の寂しさを感じていた。もちろん、これから一緒に演奏するのだから、それだけでも贅沢とも考えられた。しかし、会ってすぐ会話ができないというのは、それだけ奈緒子との間にできた溝が、大きくなっているように慎吾には感じられた。
(あとで笑って再会できる関係なんて、ありはしないんだな・・・)
 男女の間に友情が成立するかという問いかけをされたら、今の自分は否と答えるだろう、慎吾は漠然とそんなことを考えていた。
「慎吾さん、大丈夫か?なんかぼーっとしているように見受けられるんやけど・・・」
「あ、ああ。大丈夫だ」
数馬から声を掛けられ、慎吾は我に返った。数馬はベースを舞台上に置き、慎吾のもとに駆け寄った。
「慎吾さん、今日はいい演奏しようや」
「数馬、お前、この間と逆のこと言ってるぞ」
慎吾は苦笑したが、数馬は大まじめだった。
「いや、慎吾さん。世の中には狙ってないと出来ないことがたくさんあるんや。ほれ、下を見てみろ」
慎吾は数馬の指さす方を見た。
「今日は俺らの名前を売るには最高のチャンスや。ほれ、あいつ、知っとるやろ。ジャズ評論家の寺元や、その三つ隣にはピアニストの大園健二、それからあそこに陣取っているのが月刊ジャズジャーナルの記者・・・」
 しかし慎吾は数馬の指さす方向を見ていなかった。慎吾の見ていたのは、妻の和美と、藤木や宮田と一緒に来ていたはずの大谷が並んで座っている姿だった。和美の隣には音也がつまらなそうに座っていた。
 慎吾は藤木を見た。藤木は宮田と並んで座っていたが、その藤木と目があった。こいつだけには負けるまい、慎吾は心に固く誓った。
「数馬」
「ああ、なんや」
「・・・頑張ろうな」
「・・・おお」
 慎吾は集中力を高めた。不思議なほど力んでいなかった。むしろ高まっていく集中力が、慎吾から雑念を消していった。慎吾は目を閉じた。集中することで、優や数馬や奈緒子の息づかいまでがわかるようだった。彼らの心臓の鼓動を聞き取ることすらできるのではないかと思うくらい、集中力が研ぎ澄まされた時、慎吾はカウントを出した。
「1,2,1,2,3,4」
 舞台の上が明るくなり、演奏が始まった。一曲目は「Yardbird Suite」、チャーリー・パーカー作曲のナンバーだ。慎吾は切れ味の鋭いフレーズをざくざくと切り刻みながら、いきなりの高速フレーズを繰り出した。久しぶりに演奏するというのに、奈緒子−数馬−優のリズムセクションは微動だにせず、慎吾のフレーズを支えた。慎吾は会場の観客が息を詰めて音楽に聴き入っている様子を敏感に感じ取っていた。それは紛れもなく「緊張感」であったが、その雰囲気を慎吾は心地よく感じていた。
 数コーラスを演奏して、慎吾は奈緒子にソロを渡した。ソロを渡す瞬間、慎吾はちょっとだけ奈緒子を見たのだが、それに気付いた奈緒子は少しだけ頷いてからソロを弾き始めていた。
 しばらく聴くことのなかった奈緒子のピアノが、今、慎吾の数メートル先で鳴っていた。相変わらず気品の漂う奈緒子のピアノであったが、それを優のドラムが強烈にプッシュした。優は明らかに奈緒子を誘っていた。奈緒子のピアノは1コーラスだけ優のドラムをいなしながら弾いていたが、2コーラス目から優の誘いに乗った。次第にタッチが強くなり、強烈にグルーブし始めた。会場は明らかに強烈にピアノを弾く奈緒子に対してどよめいていた。ファンの期待する奈緒子のスタイルではなかったからだろう。しかし、奈緒子は構わずそのまま演奏した。聴衆の戸惑いが共感に変わった雰囲気を見逃さず、奈緒子は数馬にソロを渡した。
 数馬も渾身のソロを聴かせた。普段的確にソリストを支えている数馬だったが、自分がソリストになった瞬間、見事な歌心を発揮した。ベースが唸りながらバップフレーズを唄っていた。
「イェイ」
 思わず声の出た慎吾の顔をにやりと見やると、数馬はソロを終わりにする方向にフレーズを纏めた。慎吾は胸元で指を四つ立て、優を見た。優はその合図に対し、目で返事をした。
 4バース。慎吾のサックスと優のドラムがお互いのフレーズを聴きあいながら、それを発展させていった。それを奈緒子のピアノと数馬のベースが支えた。たった2コーラスという短い間であったが、慎吾は優との会話に手応えを感じ、後テーマに入った。
 曲が終わると、会場は大きな拍手に包まれた。慎吾はMCを入れようか迷ったが、このままの流れを保ちたかった。いや、もう演奏以外に気持ちを取られたくなかった。次の曲は「My One And Only Love」、神田の愛奏曲だ。舞台の袖に目をやると、神田が笑っていた。
(久々にあのやり方でやらせていただきますよ。神田さん)
 神田の笑顔を確認すると、慎吾はいきなり無伴奏ソロに突入した。久しぶりに、しかしかつて何度もやった方法である。高校時代の神田が得意とし、そして、慎吾もそれに大きな影響を受けたやり方だった。いきなり吠えだした慎吾のサックスに会場がまたしてもどよめいた。しかし、アブストラクトな展開の中から、やがて「My One And Only Love」のテーマの断片が聞こえ始めると、会場から安堵の空気が伝わった。そしてテーマが明確な形で姿を現すと、会場から拍手が起きた。いつの間にか奈緒子のピアノ、数馬のベース、そして優のドラムが慎吾のサックスに寄り添い、支えた。テーマを終え、ソロになると、慎吾は倍のリズムを刻み、リズムセクションをリードした。粘り気と軽快さを同時に併せ持つ優のブラシがリズムを支えていた。慎吾はサビの部分の終わり際にソロの山を持ってきた。それに答えて奈緒子のピアノも数馬のベースも音楽を盛り上げた。静かな雰囲気に軟着陸しつつ、慎吾はソロを纏め、終えた。
 ソロを引き継いだ奈緒子は、今度は先ほどとうって変わって静かなソロを弾いた。さわると即座に壊れてしまうガラス細工のような儚さを感じさせるソロは、今までの奈緒子のスタイルにはないものだった。それを後テーマで受け継ぐ慎吾は緊張したが、なんとかうまく雰囲気をつないで「My One And Only Love」を終えた。
 大きな拍手が起きる中、慎吾はもう一度舞台袖の神田を見た。神田も拍手をしていた。その後ろでは、いったん楽屋に行っていた奏一も戻ってきて拍手をしていた。慎吾は奏一の表情が気になった。心から笑っている顔ではなかった。どこか不満げな表情だった。
(・・・?)
 慎吾は奏一が不満げな表情をする理由を考えていたが、後ろから掛けられた数馬の声で我に返った。
「慎吾さん、MC」
 慎吾はその声に弾かれるようにマイクを握った。
「ありがとうございます。・・・今日の演奏は、いわば再会セッションでして、『ラスト・レター』が書かれた当時のメンバー、・・・もっとも肝心の手内くんがいなくて、代わりに私が加わっているのですが、少しでも当時の雰囲気を伝えたくて、久々に顔を合わせました」
 話し出したものの慎吾は相変わらずMCが鬱陶しかった。こんなことを話しているより、今のメンバーで1秒も長く演奏したかった。
「演奏メンバーは、ピアノ萩原奈緒子、ドラムス佐々岡優、ベース佐伯数馬、アルトサックス有戸慎吾でお送りしています。・・・次の曲、『Black Nile』、行きます」
 言い終わった瞬間に優のドラムソロが始まった。せっかちな展開ではあったが、慎吾にとっては理想のタイミングだった。おそらく優も、慎吾と同じように考えているに違いなかった。
 ドラムソロが終わり、優がリズムを刻みだした。それは慎吾が想像しているより若干速めのテンポであったが、すぐに気にならなくなった。やがて奈緒子がブロックコードでモダンな和音を叩きつけ、それをランニングベースで数馬が支えた。慎吾がテーマを吹き始めると会場から大きな拍手とため息が起きた。
 自分のソロにはいると慎吾はある異変に気付いた。数馬のベースだった。数馬のベースは相変わらず唸りをあげていたが、それは慎吾に対してある明確な意図を持ったものとなっていることに、慎吾は気付いたのだった。
(・・・)
 慎吾の心の中に一つ、迷いの染みが広がった。

続く



posted by 山崎隆之 at 00:00| 時の歩廊で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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