2005年12月13日

時の歩廊で 第12部 「SOMEBODY LOVES ME」(7)

第62話

 時計はすでに七時を回っていた。舞台の上では、「ラスト・レター」のあらすじを辿るスライドの上映が終わり、続いて作者の青山瑞穂と編集者の対談が始まろうとしていた。慎吾は、舞台の袖に優、数馬、奈緒子を集めると、まずは深々と頭を下げた。
「きょうはよろしくお願いします」
「なんだか慎吾さんらしくないですね」
 優が笑いながら言った。
「昔からの知り合いと演奏するんだから、へんな遠慮は無用ですよ。昔の慎吾さんなら・・・」
「なんて言ったかな?」
慎吾は真剣に優に聞いた。
「今日は頼むな、で終わりにしたと思いますよ」
そう言って優はもう一度笑った。
「そうもいかんだろう。プロプレイヤー二人を交えて演奏するのに、そんなざっくばらんな・・・」
言いかけた慎吾を数馬が制した。
「いや、慎吾さん、ステージに上がったらプロもアマもないで。ここは真剣勝負といこうや」
慎吾は奈緒子の顔を見た。奈緒子は無言のまま頷いた。
 慎吾は意を決した。今日は胸を借りるのではない。思い切っていこう。
「じゃあ、今日のセットリストだけど。リハができないんでこれだけで勘弁してくれ」
慎吾は用意してきた紙を配った。

1ST SET(Vocal out)
1.Yardbird Suite
2.Black Nile
3.My One and Only Love
4.Invitation

2ND SET(Vocal in)
1.On A Slowboat To China
2.A Girl from Ipanema
3.It's Only A Paper Moon
4.You'd Be So Nice To Come Home To
5.Lush Life

「いい選曲や。ただ慎吾さん、一つ注文をつけていいか?」
セットリストを見ていた数馬が言った。
「1ST SETの2曲目と3曲目を入れ替えていいか?」
「いいけど、どうして?」
慎吾の問いに数馬は笑って答えた。
「いや、なんとなくなんやけど。なんというか、3曲目のマイワンで盛り上がってきた流れが止まっちゃうんやないかと思うんや」
「・・・そうだな、じゃあそうするか」
慎吾は曲を入れ替えることを決めた。慎吾がふと視線を横に向けると、そこには緊張で顔を引きつらせた奏一が、必死になってあいさつの文章を小声で暗唱していた。その横では、亜希子が心配そうな顔をしながら奏一を見つめていた。
「どうだ、奏一」
 慎吾が肩を叩くと、奏一はややおびえたような目をして慎吾を見た。
「こんなに緊張したのは初めてですよ。これなら演奏した方がよかったかも・・・」
「まあ、頑張ってくれよ。ここでの挨拶はお前でしかできないんだろうから・・・」
「・・・」
「病気に苦しむ人がお前の言葉で少しでも楽になるかもしれないんだ。自分の思うところをしっかり伝えろよ」
「・・・はい」
 なにか思うところがあったのか、奏一の目が急に輝きだした。
「慎吾さん、これ」
奏一は先ほどまで持っていたあいさつの文章の書いてある紙を慎吾に手渡した。
「これって?」
「これもう読みません、全部アドリブで行きます」
「大丈夫か?」
「はい、カッコつける必要なんてないんですよね。思ったことを言えばいいんですよね」
奏一は言った。自信に満ちた、頼もしい顔だった。
「慎吾、慎吾」
呼ばれて振り向くと、神田が手招きしていた。
「神田さん、なんでしょう?」
「なあ、慎吾。今日の客層だけど、『ラスト・レター』及び青山瑞穂のファンが4割、奈緒子のファンが3割、純粋なジャズファンが2割、その他1割といったところのようだな」
「・・・どうしてわかるんですか?」
「ジャズ好きは顔を見ればわかるよ」
神田は片目を閉じて、自分の言っていることが暗に適当であることを示した。
「でも慎吾、相手は手強いぞ。ちゃんとしたジャズファンも確実にいるから、しっかり演奏しないと」
「わかってます」
 慎吾は力強く頷いた。
「神田さん、俺に以前メールをくれましたよね。『俺も努力している。きっと驚くぞ』って」
「ああ」
「神田さんの演奏を聴くより先に俺の演奏を聴かせる方が先になっちゃったけど、きっと神田さん、びっくりすると思いますよ」
慎吾も片目を閉じて、自分の言っていることが暗に適当であることを示した。神田が笑った。
「慎吾、その調子だと、アガってなんていないな」
「はい、緊張はしていますけれど。もう演奏したくてうずうずしていますよ」
 会場から大きな拍手が聞こえた。慎吾と神田の横を奏一が舞台に向かっていった。いよいよ奏一の出番だ。
「奏一、がんばれよ!」
神田の言葉に奏一が振り向き、頷いた。先ほどまでの顔とは違っていた。もう自分だけができることを自覚し、その使命に向けて全力を尽くす覚悟を決めた顔だった。

 ライトが奏一一人を舞台の上に浮かび上がらせていた。
「あいつすごい口べただったけど、大丈夫かな?」
 舞台を覗き込みながら神田が言った。慎吾も奏一のことをはらはらしながら見ていた。
「青山瑞穂の弟の手内奏一と言います。新潟の長岡で医者をやっています。・・・図らずも、私が十年ちょっと前に罹った病気のことを題材にして姉が『ラスト・レター』という小説を書きました。姉にしてみたらそれは、・・・ちょうど『ラスト・レター』を書いた時に闘病生活を送っていた私たちの母に対しての、家族の記念碑的作品だったと思うのですが、こんな感じでいろんな人に呼んでもらえることになり、一応そのモデルになった私にとっても、なんだか急にスポットライトが当たったようで、なんだか驚きの毎日です」
 奏一は頭を掻きながら、しかしはっきりと喋った。
「あいつ、大丈夫みたいだな。しっかり聞き取れる」
神田が慎吾に向かって親指を立てた。
「最初は、・・・正直な話、迷惑だなと思いました。でも、ある時、私の元に『ラスト・レター』を読んだ、という中学生の女の子が入院してきました。彼女は・・・、『再生不良性貧血』という重い病気に罹っていました。それでも彼女は明るく、私に会えたことをとても喜んでくれました。・・・彼女も『ラスト・レター』を読んでくれていて、それで私と一緒に病気と闘えることを誇りに思ってくれていたようでした。でも・・・」
 突然奏一が天を仰いだ。感情が奏一を突き動かしているようだった。その感情を無理矢理抑えつけ、なるべく平静を装うように、奏一は静かに話を再開した。
「でも、彼女は、頑張った甲斐もなく、亡くなりました・・・。でも彼女は幸せだったと、彼女のお母さんから励まされました。姉の書いた『ラスト・レター』で、ずいぶん励まされたと言っていました」
会場は水を打ったように静まりかえっていた。奏一の声だけが響いていた。
「文章には人を大いに励ます力があると思います。でも、音楽にもそれがあります。事実、私が白血病と闘っている時には、仲間たちと音楽ができるということだけが私の支えでした。・・・今日はその仲間たち、プロとして活躍している萩原奈緒子、佐々岡優。それにアマチュアながらも腕を磨いてきた有戸慎吾、佐伯数馬が、演奏します。彼らの演奏で、皆さんが少しでも元気をもらえることが出来たら、こんなに嬉しいことはありません・・・。今日は、ありがとうございました」
 頭を下げた奏一に会場から大きな拍手が浴びせられた。そしてその拍手はいつまでも鳴りやまなかった。




posted by 山崎隆之 at 00:00| 時の歩廊で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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